社長の疑問
「会社の株も工場の土地も私の名義だが、個人版は使える?」
「使えば相続税や贈与税はゼロになる?」
「2028年までに何を済ませればいい?」
個人版事業承継税制を調べる社長が本当に知りたいのは、「自分の財産のどこに効く制度で、承継後に手元へいくら残るのか」という判断点です。
最初に見るべき判断基準は、引き継ぐものが「会社の株式」なのか、「個人事業に使う土地・建物・設備」なのかという区分です。
対象となる資産と猶予されない税額によって、制度を使うべきかどうかは変わります。
結論
端的な答え
個人版事業承継税制は、個人事業に使う土地・建物・一定の設備など(特定事業用資産)を後継者へ贈与・相続するとき、その資産に対応する贈与税・相続税の納付を、要件付きで猶予する制度です。税金がその場で消える制度ではなく、会社株式や会社に貸している土地は対象になりません。
判断条件
①引き継ぐものが法人株式ではなく対象となる個人事業の資産である、②猶予されない税金を払ったうえで事業と生活に必要な資金が残る、③承継後も事業を続け、3年ごとの届出などを管理できる。この3点を確認して使うかどうかを判断します。現行の期限は、個人事業承継計画の提出が2028年9月30日、対象となる贈与・相続が2028年12月31日です(2026年10月22日時点)。
なぜそうなるのか
対象は「個人の財産全部」ではなく、個人事業の特定事業用資産
この制度が効くのは「特定事業用資産」と呼ばれる資産だけです。基本の考え方は、先代の事業に使われ、贈与・相続があった年の前年分の事業所得に係る青色申告書の貸借対照表に載っていた資産であること。青色申告なら何でもよいわけではなく、正規の簿記の原則による申告が前提です。不動産貸付業などは対象となる事業から除かれます。
| 資産の種類 | 対象となる範囲 | 社長が手元で確認する資料 |
|---|---|---|
| 宅地等 | 面積400㎡まで | 登記事項証明書、実際の利用状況 |
| 建物 | 床面積800㎡まで | 登記事項証明書、用途の実態 |
| 機械・器具備品など | 一定の減価償却資産 | 固定資産台帳、償却資産申告書 |
機械や車両には「一定の」という条件が付きます。固定資産税の課税対象か、車両の用途はどうかなど、資産ごとに確認が必要です。一方、現預金・売掛金・商品在庫はこの対象資産の範囲に入りません。つまり、預金などに対応する相続税は、この制度では猶予されません。
さらに、原則として、先代が営む事業に係る特定事業用資産のすべてを後継者へ引き継ぐことが要件です。「工場は長男、機械は次男」と分ける場合も、事業と資産の範囲、後継者それぞれの要件を確認する必要があります。財産の分け方を決める前に税理士へ相談してください。
法人版と個人版は「誰が払うか」ではなく「何を引き継ぐか」で分かれる
社長個人が持つ会社株式を引き継がせる場合、検討対象は法人版事業承継税制(非上場株式等の納税猶予)です。個人版ではありません。納税者が個人であることと、個人事業であることは別の話だからです。
同じ理由で、社長個人の土地を自社に貸している場合も、その土地は個人版の対象になりません。会社に貸している土地は、社長自身が営む対象事業に使う資産とは区別します。「個人名義」という事実だけでは、この制度の対象とは判断できません。
手続は「計画の確認→承継→認定→申告と担保」の4段階
使うまでの流れは、①個人事業承継計画を作り都道府県の確認を受ける、②贈与または相続が起こる、③都道府県から経営承継円滑化法の認定を受ける、④税務申告とともに担保を提供する、という順番です。計画には、認定経営革新等支援機関の指導・助言を受けた旨を記載します。
後継者にも要件があります。贈与の場合は、贈与日に18歳以上で、贈与の日まで引き続き3年以上、対象事業に従事していることなどを確認します。相続の場合は要件が異なるため、贈与の条件をそのまま当てはめないことが大切です。
注意したいのは、認定申請には贈与・相続の日に応じた別の期限があることです。計画提出の期限が2028年9月30日だからといって、先に起きた贈与・相続の手続まで待てるわけではありません。
猶予は「免除」ではない。続けるには管理が要る
納税猶予は、税金の支払いを待ってもらっている状態です。免除になるのは、後継者が亡くなった場合など所定の事由と手続を経たときで、申告した時点で税金が消えるわけではありません。
承継後は、原則として3年ごとに継続届出書を税務署へ提出します。対象資産を事業に使わなくなった、届出を出し忘れた、といった場合には、猶予されていた税額の全部または一部に利子税を加えて納付することになり得ます。
加えて、猶予税額と利子税に見合う担保の提供が必要です。工場の土地にすでに銀行の抵当権が付いているなら、税務署へ提供できる担保と銀行側で必要な手続を事前に確認しておく必要があります。税額の計算とは別の、実務上の準備です。
土地が中心なら「小規模宅地等の特例」と比べる
相続で個人事業の土地を引き継ぐ場合、比較相手になるのが小規模宅地等の特例です。要件を満たす特定事業用宅地等は、400㎡まで相続税の課税価格を80%減らせます。
違いは効き方にあります。個人版事業承継税制は「税額の納付を猶予する」制度、小規模宅地等の特例は「対象となる土地の課税価格を減らす」制度です。後者には、猶予税額を将来納めるという負担は生じません。
同じ被相続人から財産を取得した人の中に、特定事業用宅地等について小規模宅地等の特例を使う人がいると、個人版の相続税の納税猶予は使えません。どちらを選ぶかは、土地の面積、設備の金額、家族全体の財産配分を見て決める必要があります。
数字を使った具体例
猶予2,400万円で、承継直後の手元資金はどう変わるか
個人事業の工場を引き継ぐ後継者について、制度を使う場合と使わない場合の資金を比べます。以下はすべて架空の前提です。税率から税額を算出する例ではなく、財産評価や債務、家族構成を踏まえた税額試算がすでに済んでいると仮定した資金比較です。
- 後継者が納税と事業・生活に充てられる資金:4,000万円
- 制度を使わない場合に納める税額:3,000万円
- 制度を使った場合に猶予される税額:2,400万円(対象資産に対応する部分)
- 承継直後に確保したい事業・生活資金:2,000万円
2,000万円は、仕入れ・給与・借入返済・生活費の予定を積み上げた、この例だけの必要額です。会社の預金は含めていません。
制度を使わない場合
納付後に残る資金=4,000万円-3,000万円=1,000万円
必要資金との差=1,000万円-2,000万円=▲1,000万円
制度を使う場合
当初に納める税額=3,000万円-2,400万円=600万円
納付後に残る資金=4,000万円-600万円=3,400万円
必要資金を上回る額=3,400万円-2,000万円=1,400万円
結果として、制度を使わなければ必要資金に1,000万円足りず、使えば1,400万円の余裕が出ます。残る資金の差は3,400万円-1,000万円=2,400万円で、猶予された税額と同じです。
ただし、この1,400万円を自由に使ってよいと考えるのは早計です。仮に他の収支がない状態で猶予2,400万円の全額納付が必要になれば、1,400万円-2,400万円=▲1,000万円の不足に、利子税が上乗せされます。社長が決めるべきことは、承継直後の資金を確保することと、将来の納税に備える方法を用意することの両方です。
納税前の資金
4,000万円
当初の納付(支出)
▲600万円
納付後に残る資金
3,400万円
税金がなくなったわけではなく、将来の納付に備える必要がある。
自社で確認するポイント
申告書と資産一覧を机に並べて、対象と資金を分けて見る
- 名義と用途:会社株式、会社へ貸している不動産、個人事業に使う資産を、別々の一覧にしたか。
- 青色申告:前年分の貸借対照表に対象資産が載っているか。正規の簿記による申告か。先代と後継者の申告要件を税理士と確認したか。
- 面積と設備:登記上の面積、実際の使い方、固定資産台帳の金額を突き合わせたか。400㎡・800㎡を超える部分の扱いを確認したか。
- 後継者:事業への従事状況、年齢、開業届と青色申告承認の手続を、贈与と相続に分けて確認したか。
- 分け方:事業に係る対象資産を要件に沿って引き継げるか。複数の後継者や他の相続人への配分に無理がないか。
- 資金:猶予されない税金、事業に必要なお金、生活資金を別々に算出したか。
- 債務と担保:引き継ぐ借入金が猶予税額の計算に与える影響と、担保提供の方法を確認したか。
- 継続管理:3年ごとの届出期限と、設備を売却・買換えする前の相談窓口を決めたか。
会社を経営しながら、別に個人事業も営んでいる社長は、会社の資料と個人の資料を混ぜないことが重要です。会社の預金は社長個人の相続税にそのまま使える資金ではありません。
よくある間違い
「個人で持っているのだから個人版」と考える
個人版か法人版かは、納税者が個人かどうかではなく、何を引き継ぐかで決まります。会社株式は法人版、対象となる個人事業の土地・建物・設備は個人版です。両方を同じ試算に混ぜると、対象外の資産まで猶予されるように見えてしまいます。
「100%猶予だから相続税は全部ゼロ」と考える
100%猶予というのは、要件を満たす対象資産に対応する税額の全額が猶予されるという意味です。預金や有価証券、自宅など対象外の財産にかかる税金は、通常どおり納めます。
古い資料の期限を見て「もう使えない」と諦める
以前の資料には、個人事業承継計画の提出期限を2026年3月31日と記載したものがあります。2026年の改正を反映した公的資料では、提出期限は2028年9月30日です。ただし、贈与・相続ごとの認定申請期限まで一律に延びたわけではないので、承継の日から逆算して手続を確認してください。
猶予で残った資金を、全額追加投資に回す
猶予によって残った資金は、免除が確定した利益ではありません。設備投資や借入の繰上返済に使う前に、通常の資金繰り表と、猶予が打ち切られた場合の資金繰り表を分けて作り、どちらでも回ることを確かめてください。
次にやること
まず「対象資産」と「納税後に残る資金」を1枚にまとめる
- 財産を3つに分ける。会社株式、個人事業に使う資産、それ以外の個人財産に分類し、それぞれの評価額の目安を書き出します。
- 税理士に比較試算を依頼する。個人版を使う場合、使わない場合、相続なら小規模宅地等の特例を選ぶ場合について、税額と納付後に残る資金を並べてもらいます。
- 承継予定日から期限を逆算する。認定支援機関と都道府県の窓口に相談し、計画の確認、認定申請、税務申告を別々の予定として管理します。
- 担保と財産配分を詰める。銀行の担保が付いている資産は金融機関にも早めに相談します。家族間の権利調整に不安があれば、実行前に弁護士へ確認します。
- 承継後の管理担当を決める。継続届出の期限と対象資産の一覧を後継者と顧問税理士で共有し、設備の売却・買換え前には必ず確認する運用にします。
社長が最初に決めるのは「この制度を使う」という結論ではありません。誰に何を引き継ぎ、納税後にいくら残す必要があるかです。その条件に制度が合うかどうかを、数字で確認してから判断してください。
よくある質問
Q. 私個人の土地を会社に貸しています。個人版の対象になりますか?
A. 会社に貸している土地は、社長自身が営む対象事業の資産ではないため、個人版の対象になりません。会社株式の承継は法人版、土地の相続は小規模宅地等の特例の適否など、別の枠組みで税理士に確認してください。
Q. 相続が始まってから計画を出しても間に合いますか?
A. 相続開始後でも、期限と要件を満たせば計画を提出できる場合があります。ただし、計画提出の期限(2028年9月30日)とは別に、相続に係る認定申請の期限も守る必要があります。計画が未提出なら、相続発生後すぐに都道府県の窓口と税理士へ相談してください。
Q. 引き継いだ機械が古くなったら、売却や買換えはできませんか?
A. 一律に禁止されているわけではありません。一定の廃棄や、所定の手続を経た買換えなどでは猶予を続けられる場合があります。ただし、処分によって猶予税額の納付が必要になることもあるため、契約や廃棄の前に必要な承認・届出を確認してください。
企業価値・承継相談
引き継ぐのは会社の株式でしょうか、それとも個人事業の土地・設備でしょうか。まず対象を分け、猶予されない税金を払ったあとに必要な資金が残るかを確かめましょう。
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